『木の葉芽吹きて大樹為す』への感想
投稿者:ルアベ
[2012年 08月 15日 23時 15分]
▼一言
大変しつこくてすみませんが書かせてもらいます。
まずは九尾の名前の読み方を教えてもらえましてありがとうございました。クラマと読むんですね。
九尾が主人公を名前を呼ぶのを許すほど信頼した理由ですが、「九尾と主人公は結構付き合い長いです。少なくとも五年以上はあのような関係を続けています。そうして数年かけて付き合いを深めて、ようやく一年前に名前を教えてもらいました。で、九尾が主人公を気に入っているのは、彼女が九尾の事を一個の確立した自我をもつ一個の存在として認めており、尾獣達のことを単なる力(または道具)として捉えていないからです。」とのことですが、私は九尾との絡みなどの積み重ねが足りないと言っているのではないのです。
私が疑問に思っているのは、九尾は会うのは分身だけで決して本体で会わない主人公をどうして名前を呼ぶのを許すほどに信頼できるのか。ということです。
普通ならどれだけ年月を積み重ねても本体で会わない人物を信頼できないと思いますが。
たとえば「双葉時代・対峙編<中編>」の話での日向の忍び達と会うのに、本体ではなく影分身で行ったりしたら、はたして信じてもらえたのか。といったことと同じだと思いますが。
ようするに改稿版の方では本体で九尾と会う場面を追加してほしいということです。もちろん最初の出会いは分身でかまいません。
以上です。本当にしつこくてすみませんでした。
投稿者:
半月
[2012年 08月 16日 (日) 11時 18分 35秒]
九尾は九尾で心の底から人間(含む主人公)を信頼できている訳ではありません。
名前を教えてやったのは、数年かけた付き合いの中で“ある程度”彼女の事を認める事が出来たからです。
また彼女に取って尾獣は眺めて感嘆する対象であり(大自然の景色を見て人が感動する様な感じで)ある種の畏敬の念とも言える感情を抱きながら接しております。(=出逢い編<後編>参照)どちらかといえば、犯してはならない聖域を見ている様な感じです。(ただし自然の猛威として尾獣側から襲って来た時には撃退しますが(例・七尾襲撃))
純粋にそう言った目でしか尾獣達の事を見ていませんので、それまで九尾の力を利用しようとして来た他の人間達とは違います。(原作でも九尾は自分達の事を道具としてしか見ない人間に心底絶望というか達観していましたので)そう言った目で見て来ない彼女に、九尾がある程度の付き合いを経てようやく名前を教えるという気まぐれを起こす気になりました。
で、教えこそしましたけど一度人間不信になってしまえば、解消するのはなかなか難しいものです。
自分の領域の中に踏み込ませてやっても良いかな、と思う反面、もしも裏切られたら……という最悪の予想もつきまとう様になります。
本体で会ってみたいと思う一方で、これまでの不思議と居心地がよく、互いにそれ以上踏み込ませる事のしない奇妙な関係が壊れてしまうかもしれない……という事に恐怖を覚えます。
(実力の半分も出せない分身だったら簡単に消せますが、本体だとそうもいかないので)
で、主人公は自分が忙しい事とそう言った九尾の内心の九尾自身気付いていない、又は目を逸らしている恐れ(というか不安、でしょうか)になんだかんで分かっていますので、それに甘えて分身だけにいかせている訳です。彼女に取って優先されるべきは弟妹や一族、連合の仲間ですから。
――こんな感じで良いでしょうか? 自分の中での彼ら二人の関係性はこんな感じです。
多分改稿版の方でも「今度暇が取れそうだから、その時会いに行くよ」とは言っても、実際に会うのは……となりそうですが。
最も、改稿版の方では九尾との絡みを増やします。これは絶対です。
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