『【ヒカ碁】孤独に耐え切れず死んだら12歳のあの日に逆行した件【TS】』への感想
投稿者:91
[2014年 02月 11日 00時 16分]
▼一言
作者が囲碁初心者として明言されているので、囲碁の内容について期待するのもどうかと思ったのですが、違和感が酷いので少しだけ。
〉コミなしで65目
互先でトッププロとプロ初段が打ったとしても、こんなに差が付くことまずはないです。盤面の石の差で技量の差を表現したい気持ちはわかりますが、現実的ではないのでやめておいた方が無難でしょう。それにアマ高段者でも20目くらい差がついた時点で相手の力量を比較して叶わないと思った場合は投了します。原作で佐為がネット碁のゼルダ(和谷)との対局の後でヒカルに言っていたことですよね。
*追記
A
原作の新初段シリーズの進藤ヒカルVS塔矢名人で、塔矢名人に執着していた佐為がヒカルの代わりに打った場面があったと思います。その時の佐為の執着は凄まじいものがありつつも、最終的には投了しました。
これは日本の囲碁高段者もほとんどの人が持っている礼儀のようなもので、『投了の美学』にあたります。いくら@の理由があれども、佐為ほど礼儀を重んじルール違反を嫌う碁打ちなら投了するのが自然ではないでしょうか。
@B
最初に述べておきますが、ネット碁のほとんどはアマ高段低段級位者です。ごく一部を除いてプロ初段より実力は下です。
実力が低いもの同士と高い者同士における一目の価値はまるで異なり、それもトッププロになれば一目というのは途方もなく大きい価値を秘めています。つまり実力が上がるほど(・・・・・)地合差がほどんどなくなっていきます。
ネット碁の塔矢名人VS佐為の一局で、最後までヨミぬいた塔矢名人が半目で(・・・)佐為に負けを認めて投了し、最終的には引退までしたのがいい例ですね。アマ低段者なら負けが認められずもう一局やろうと提案するでしょう。半目程度(・・・・)で実力が下とは言えないからです。
なので、例え神の一手だとしても65目はあり得ないです。せいぜい15目程度でしょうか。それでも低段者感覚で言えば300目くらいの絶望な差ですが。
ちなみに、原作の塔矢名人VS佐為でヒカルが気付いた一手ですが、実際に打つと一目の差です。トッププロ戦での一目が如何に大きいかを如実に描写しています。
神の戦いでは一目の価値がさらに大きいものであることは言うまでもないですよね。
投稿者:
Ardito
[2014年 02月 11日 (日) 03時 41分 45秒]
ご指摘ありがとうございます!
追記・ありがとうございます!!
なるほど……そういうものなのですね……!
ヒカルのあり得ない実力を表現したくてこうなりましたが、非常に納得致しました。
本当に本当にありがとうございますっ!!
91様のご意見で改稿することに致しました。
佐為の投了にすべきか、15目差とするべきか悩みますが……最後まで打ちたかったということで、15目差としようと思います。
ありがとうございましたっ!!
◆以下、最初に書き込んだ返信内容です。
実はこのご指摘は過去に何度もあり議論されてきたもので、
@佐為にとって久しぶりの対局で、しかもその相手が求め続けていた神の一手を、極めたのではないかと思えるほどの打ち手。
A上記の理由で本来なら投了すべき段階になってもどうしても最後まで打ちたくて打ち続けてしまった。 つまり、ほぼ死んだ碁を打ち続けてしまった。
Bこの小説のヒカルは碁の神様(?)があらゆる世界の禁忌を犯して才能を伸ばす環境を整えてきた、チート的な存在。 あと一歩で神の領域に届かんとしているため、トッププロというよりも神に近いというあり方。
C『二度目の初対局』時の佐為は、現代の定石・囲碁のルールを知らないという大きなハンデを抱えている状態。
ということを踏まえてこのような大差になりました。
ネット碁では数百目差なんてのも存在するので、実力差的に考えてもっとあっても良いのではないか、しかしあまりにも目差がありすぎるのもどうなのだろうかと悩んだ結果、65目というようになっています。
上記のこと踏まえた頂いた上で、それでも〜という理由でこれはあり得ないのだ、ということがありましたら是非ともまたご指摘いただきたいと思います。
ご指摘本当にありがとうございました!
小説を良くしていく上で、そういったご指摘が本当にありがたいです。
私は弱小囲碁部に在籍していた程度の実力しかない本当に囲碁初心者なので、色々教えて頂けると助かります。
これからもどうかよろしくお願いします!
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