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『資料 恋姫時代の後漢』への感想

投稿者:Nmas
[2013年 11月 02日 02時 12分]

▼良い点
色々な情報が記載されていて、すごく参考になる部分が多いです、作成、ご苦労様です。

▼一言
後漢時代となっていますが、三国時代の情報になっている様な箇所があるように感じます。中途半端な知識で、間違っていたら、申し訳ないのですが、
九品官人法が書かれていますが、曹丕の魏王時代に採用されたもので、漢では使用されて無かったのでは無いでしょうか?
後、後漢王朝では、四将軍は四征、四鎮より上の役職だったと思うのですが。後、四征、四鎮では、従来では、四鎮の方が上だったと思っていたのですが、違ってましたでしょうか?
又、四征、四鎮の本拠地ですが、魏王朝でのことで、漢王朝とは違うのでは無いでしょうか?

恋姫の役職は、不可解ですね?曹操の場合、最初は県令程度だと思うのですが、やってることは、明らかに州牧クラスの事してますし。後、劉協は陳留王になったかどうかも不明ですね。なってたら曹操は相になると思われますしって、八校尉になったら、洛陽に行くことになるんで、陳留から移動する事になるはずですよね?てか、孫呉の王て呼び方も、思いっきり反乱に該当するし。仕方ないとはいえ、無茶苦茶ですね。


▼返信
投稿者: 所長
[2013年 11月 02日 (日) 06時 56分 08秒]

 心臓がきゅっとなる感想ありがとうございます。寿命が少し縮みました。

>九品官人法
 九品官人法は偉さの参考程度になればとの掲載でして、いくつかは前漢代(以前?)からの役職名を受け継いでいたはずですが、仰る通り後漢代のものではないです。文章を修正した方がいいですよね……。いずれ直そうと思います。

>四将軍、四征、四鎮
 四将軍は平時には上級職とされましたが、戦時において征・鎮将軍が設置されると割とないがしろにされてるのでこんな順位だったのではないか、という説を読んだのでそのまま載せてます。まぁ後漢書という歴史書そのものが主役以外ないがしろにした記述の多いものなので、上下逆かもというのは正直なところわからないです。
 四征、四鎮は置かれる度に本拠地がちょくちょく変わっている印象ですのでやっぱり参考程度にと本拠地の明らかないくつかの例を挙げてた……はずです。これ書いたの一昨年なので自信が薄れてますけど……。あと四征、四鎮も重要度・本拠などで格があったようですので(時期にもよるとは思いますが北征>北鎮>西征>西鎮>南鎮>(四将軍はこの辺?)>南征>東鎮>東征くらいの偉さだったのではないかと)、やはりここも『現代の役職ならこれくらい』という各種の例えから逆算して書いた部分だったと思います。

>不可解
 陳留(郡)の刺史(なにそれふざけてるの)をしてるのに正規兵扱いらしい軍を率いてたり(越権行為)しますもんね、アイツ。八校尉は十常侍が任命された頃には遠征してたこともあったらしいですが、流石に洛陽以外に常駐してたなんてことはないと思います。
 皇家劉一族の血縁なら呉(郡=国の)王になれる! かもしれませんね。三国志の頃とか劉家に牙を剥いてましたけど! 三国志の孫呉ほど何を言いたいのかわからない英傑は他にないです。

 修正はいずれハーメルンさんの方から順にやっておきたいと思います。ご指摘ありがとうございました。

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